2008年
03月
31日
(月)
23:59 |
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東京国立博物館平成館で特別展「国宝 薬師寺展」を拝観。
まだ始まったばかりで大混雑していないうえにゆったりとした余裕のある配置で、聖観音菩薩立像(国宝)、日光菩薩立像(国宝)、月光菩薩立像(国宝)などをじっくりと。日光・月光の前にはスロープがあり、見上げるだけでなく(三メートル以上ある)、やや高い位置からも見ることが出来たし、光背がないので後ろもよく見えた。この二像、ポーズは対称になっているが、衣装は非対称。よく似ているがそのぶん差異が見えやすい。
盛唐期の風をよく伝える絵画、吉祥天像(国宝)は、細部を拡大した鮮明な画像を何枚も展示し、細々と解説してあり、それ読んだり見たりしながらご本尊に近づいていくと、実物の小ささに驚く。千三百年前のものだし、残っているだけで有り難い。
本館裏の庭園が開放中(四月二十日迄)で、桜も咲いていた。桜の種類も様々、咲き加減も様々。満開のもの、五分咲きのもの、まだ蕾のもの。本館近くの桜の大木は、淡い緑がかった花が咲いているようだったが、近くで見ると白い花で、すでに出ていた若葉の緑と合わさって薄い緑に見えたのだった。オオシマザクラとの表示あり。
庭園内では、開催中のイベント「博物館でお花見を」(四月六日迄)に連動して「さくらカフェ」(Motoya expressの移動販売車) が開店しており、コーヒーやクッキーが売られていた。近くに濃いピンクと薄いピンク(桜色と桃色というべきか)、二色のベンチも設置されており、カフェラテを買い、ココアパウダーを振って(加減がわからなくてたくさんかかった)池と池の向こうの茶室、その後ろの木立を見ながら飲んだ。三百五十円。紙コップのスリーブに桜のシールが貼られていた。
2008年
03月
31日
(月)
00:01 |
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ウォン・カーウァイ監督の『マイ・ブルーベリー・ナイツ』を観る。
ニューヨーク。恋人に心変わりされたエリザベス(ノラ・ジョーンズ)は、カフェのオーナー、ジェレミー(ジュード・ロウ)に「彼が来たら渡して」と合い鍵を預けるが、心は傷んだまま。ある晩、店じまいをしているジェレミーが、売れ残りのブルーベリーパイを丸ごと捨てようとするのを見て、一切れ食べる。以来、ブルベリーパイのアイスクリーム添えを食べるのが彼女のお決まりになった。ある日、バスに乗って彼女は街を離れ、新しい街でリジーやベスやベティ(どれもエリザベスの愛称)と名乗ってダイナーやバーで働き、ときどきジェレミーに葉書を送る。ジェレミーは彼女からの葉書を待ちわびていた。
どうして香港の街が舞台でなかったのだろう。ウォン監督は、ノラ・ジョーンズと出会い、彼女がアメリカ人だからアメリカを舞台にしたと語っていたが、ところどころで香港にしか見えない場面があった。特にジェレミーのカフェは、カップケーキやパイが並んでいても香港の食堂の雰囲気があった。防犯カメラの写りの悪い映像と、その映像の中で突然始まった殴り合いは、まるで香港(香港映画)。
エリザベスは、女性ギャンブラーの レスリー (ナタリー・ポートマン)と知り合い行動を共にするが、ポートマンの胸の大きさがしょっちゅう変わっていた。同じ衣装を着けた同じ場面でも、撮影した日が違うのか、下着を着けていたりいなかったり。一番大きくなっていたのは、キャミソールを着てエリザベスとモーテルのベッドにいる場面。仰向けになっているのにぽっこりと膨らんでいた。一番小さいのは病院の前で、ぴったりしたシャツを着ていたが、かすかにわかる程度のふくらみしかなかった。今月はポートマンが登場する映画を三本も観てしまった。ポートマンのファンでもないのに。
ところで、好きな女の子に好意を告げることが出来ずにいるのはともかく、彼女の意識のないところでキスをするのは卑怯だ。押しつけがましいし、ひいき目に見てもセクハラ。自分があんなキスをされたとわかって、「こんなに愛されている私」「キスしたくなるほど魅力的な私」と思う女がいたら、それは大いなる勘違いだ。
誰も注文しないブルーベリーパイは、「蓼食う虫も好き好き」という意味なのだろう。捨てる神あれば拾う神ありとか。スクリーンに映るアメリカの景色は美しいが、印象は散漫。
ニューヨーク。恋人に心変わりされたエリザベス(ノラ・ジョーンズ)は、カフェのオーナー、ジェレミー(ジュード・ロウ)に「彼が来たら渡して」と合い鍵を預けるが、心は傷んだまま。ある晩、店じまいをしているジェレミーが、売れ残りのブルーベリーパイを丸ごと捨てようとするのを見て、一切れ食べる。以来、ブルベリーパイのアイスクリーム添えを食べるのが彼女のお決まりになった。ある日、バスに乗って彼女は街を離れ、新しい街でリジーやベスやベティ(どれもエリザベスの愛称)と名乗ってダイナーやバーで働き、ときどきジェレミーに葉書を送る。ジェレミーは彼女からの葉書を待ちわびていた。
どうして香港の街が舞台でなかったのだろう。ウォン監督は、ノラ・ジョーンズと出会い、彼女がアメリカ人だからアメリカを舞台にしたと語っていたが、ところどころで香港にしか見えない場面があった。特にジェレミーのカフェは、カップケーキやパイが並んでいても香港の食堂の雰囲気があった。防犯カメラの写りの悪い映像と、その映像の中で突然始まった殴り合いは、まるで香港(香港映画)。
エリザベスは、女性ギャンブラーの レスリー (ナタリー・ポートマン)と知り合い行動を共にするが、ポートマンの胸の大きさがしょっちゅう変わっていた。同じ衣装を着けた同じ場面でも、撮影した日が違うのか、下着を着けていたりいなかったり。一番大きくなっていたのは、キャミソールを着てエリザベスとモーテルのベッドにいる場面。仰向けになっているのにぽっこりと膨らんでいた。一番小さいのは病院の前で、ぴったりしたシャツを着ていたが、かすかにわかる程度のふくらみしかなかった。今月はポートマンが登場する映画を三本も観てしまった。ポートマンのファンでもないのに。
ところで、好きな女の子に好意を告げることが出来ずにいるのはともかく、彼女の意識のないところでキスをするのは卑怯だ。押しつけがましいし、ひいき目に見てもセクハラ。自分があんなキスをされたとわかって、「こんなに愛されている私」「キスしたくなるほど魅力的な私」と思う女がいたら、それは大いなる勘違いだ。
誰も注文しないブルーベリーパイは、「蓼食う虫も好き好き」という意味なのだろう。捨てる神あれば拾う神ありとか。スクリーンに映るアメリカの景色は美しいが、印象は散漫。
2008年
03月
30日
(日)
00:01 |
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峰守ひろかずの『ほうかご百物語』(電撃文庫)を読む。第十四回電撃小説大賞大賞受賞作。
白塚真一は高校一年生の美術部員。ある晩、忘れ物を取りに夜の校舎に忍び込み、そこで可愛らしい女の子に出会うが、彼女は真一に言う。「あなたの血をね、吸ってもいいかな」と。
この吸血したい少女はイタチである。一見人間に似ているが、歯は鋭く、獣耳や尻尾が出たりする。イタチの毛皮の滑らかさや艶に比べれば、狼の毛皮のなんと堅い手触りであることよ。だがしかし、可愛らしいだけでは物足りぬ……と、つい行商人と旅をしている狼娘と比較してしまうのだった。
閑話休題。
イタチさんの出現によって、異界とのつながりが出来てしまい(もともとつながりやすい場所だったらしい)、妖しげなものどもがこちら側にしばしば出現するようになり、真一たちはその対応に奔走させられる。何故かというと、美術部には経島先輩という在野の妖怪研究家が在籍しており、やたらと妖怪に詳しく、妖怪の出自、弱点に明るいからだった。
妖怪がしばしば出現するようになると、危険を及ぼさない音だけの妖怪などは放置するようになるのが「すぐ隣にいる妖怪」という感じで楽しかった。
そしてその妖怪たちにも出現する理由があるのだった。
白塚真一は高校一年生の美術部員。ある晩、忘れ物を取りに夜の校舎に忍び込み、そこで可愛らしい女の子に出会うが、彼女は真一に言う。「あなたの血をね、吸ってもいいかな」と。
この吸血したい少女はイタチである。一見人間に似ているが、歯は鋭く、獣耳や尻尾が出たりする。イタチの毛皮の滑らかさや艶に比べれば、狼の毛皮のなんと堅い手触りであることよ。だがしかし、可愛らしいだけでは物足りぬ……と、つい行商人と旅をしている狼娘と比較してしまうのだった。
閑話休題。
イタチさんの出現によって、異界とのつながりが出来てしまい(もともとつながりやすい場所だったらしい)、妖しげなものどもがこちら側にしばしば出現するようになり、真一たちはその対応に奔走させられる。何故かというと、美術部には経島先輩という在野の妖怪研究家が在籍しており、やたらと妖怪に詳しく、妖怪の出自、弱点に明るいからだった。
妖怪がしばしば出現するようになると、危険を及ぼさない音だけの妖怪などは放置するようになるのが「すぐ隣にいる妖怪」という感じで楽しかった。
そしてその妖怪たちにも出現する理由があるのだった。
2008年
03月
27日
(木)
00:01 |
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クリス・ワイツ監督の『ライラの冒険 黄金の羅針盤』を観る。
人の魂(ダイモン)が動物の形で体の外にいる世界。両親がおらず、叔父に学寮に預けられている少女ライラ(ダコタ・ブルー・リチャーズ)は、いろいろあって北極を目指す。
美しい風景、見たことのない光景が目白押し。
ライラは才長けて弁が立ち、度胸もあって勝負に強く、危機からはつねに間一髪で逃れるが、謙虚さに欠ける。その自信の根拠はなんだ。
原作の方が世界や人間関係が丁寧に描写されていて、納得しやすくなっているに違いない。
人の魂(ダイモン)が動物の形で体の外にいる世界。両親がおらず、叔父に学寮に預けられている少女ライラ(ダコタ・ブルー・リチャーズ)は、いろいろあって北極を目指す。
美しい風景、見たことのない光景が目白押し。
ライラは才長けて弁が立ち、度胸もあって勝負に強く、危機からはつねに間一髪で逃れるが、謙虚さに欠ける。その自信の根拠はなんだ。
原作の方が世界や人間関係が丁寧に描写されていて、納得しやすくなっているに違いない。
2008年
03月
26日
(水)
00:01 |
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メリッサ・バンクの『ささやかだけど忘れられないいくつかのこと』(雨海弘美・訳、ヴィレッジブックス)を読む。
ユダヤ系アメリカ人女性、ソフィー・アップルバウムが主人公の連作短編集。登場する一番若いソフィーは冒頭の「世界のボスはだれ?」の十二歳で、最後の「わたしの奇跡が起きる場所」のソフィーは三十代も終わりに近づいている。アップルバウム一家の二十数年間をソフィーの視点から描き、ソフィーの経験と成長が描かれる。
本書のタイトルからレイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役にたつこと」を連想させられたが、原題は、たぶん "The Wonder Spot " で、どうしてこのタイトルだったのかよくわからない。読めばある程度は納得するが。「わたしの奇跡が起きる場所」も原題は"The Wonder Spot " だと思う。長めのタイトルでバンクの前作『娘たちのための狩りと釣りの手引き』を思い出させようとしたのだろうか。
共感したり感心したり、あきれたりしながら読んだ。母子の関係が変化していく様に、ソフィーの成長を見た。意外だったのは、孫たちが祖母に甘えたり心を許していないところで、しかしそういう家庭もあるだろう。祖母が優しくて気前の良い女性であるとは限らない。
残念なことは、各短編の原題が表記されていないところ。この作品の原題はなんだろうと思ったときに、わからないのが、じれったい。本文だったらあきらめもつくのだが。
ユダヤ系アメリカ人女性、ソフィー・アップルバウムが主人公の連作短編集。登場する一番若いソフィーは冒頭の「世界のボスはだれ?」の十二歳で、最後の「わたしの奇跡が起きる場所」のソフィーは三十代も終わりに近づいている。アップルバウム一家の二十数年間をソフィーの視点から描き、ソフィーの経験と成長が描かれる。
本書のタイトルからレイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役にたつこと」を連想させられたが、原題は、たぶん "The Wonder Spot " で、どうしてこのタイトルだったのかよくわからない。読めばある程度は納得するが。「わたしの奇跡が起きる場所」も原題は"The Wonder Spot " だと思う。長めのタイトルでバンクの前作『娘たちのための狩りと釣りの手引き』を思い出させようとしたのだろうか。
共感したり感心したり、あきれたりしながら読んだ。母子の関係が変化していく様に、ソフィーの成長を見た。意外だったのは、孫たちが祖母に甘えたり心を許していないところで、しかしそういう家庭もあるだろう。祖母が優しくて気前の良い女性であるとは限らない。
残念なことは、各短編の原題が表記されていないところ。この作品の原題はなんだろうと思ったときに、わからないのが、じれったい。本文だったらあきらめもつくのだが。
2008年
03月
25日
(火)
00:01 |
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クレオ・コイルの『秋のカフェ・ラテ事件』(小川敏子・訳、ランダムハウス講談社文庫)を読む。シリーズ三作目。
老舗コーヒーハウス、ビレッジブレンドで行われたパーティーで、カフェ・ラテを飲んだ男が急死した。男が飲んだカフェ・ラテを運んでいた従業員のタッカーが、殺人容疑で逮捕される。マネージャーのクレアはタッカーの無実を信じ、真犯人を捜す。
ビレッジブレンドは、クレアがマネージャーに返り咲いてから殺人事件が起きてばかりいるので、いっぺん御祓いをしてもらうといいと思う。殺人事件が起きてばかりいるのに、大盛況なので必要ないのかもしれないが。
老舗コーヒーハウス、ビレッジブレンドで行われたパーティーで、カフェ・ラテを飲んだ男が急死した。男が飲んだカフェ・ラテを運んでいた従業員のタッカーが、殺人容疑で逮捕される。マネージャーのクレアはタッカーの無実を信じ、真犯人を捜す。
ビレッジブレンドは、クレアがマネージャーに返り咲いてから殺人事件が起きてばかりいるので、いっぺん御祓いをしてもらうといいと思う。殺人事件が起きてばかりいるのに、大盛況なので必要ないのかもしれないが。
2008年
03月
24日
(月)
00:01 |
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献血ルームで成分献血。血漿と血小板。無事に終わるが、ベッドで手首で測った献血後の血圧が低く、ビスケットと温かいお茶をあてがわれてベッドに留め置かれる。二度目の測定ではもっと低く、念のため問診医のところで腕で測ったら標準的な値だった。手首型血圧計との相性が悪いのかも知れない。
献血後に食べるようにと出してもらったビスケット(ドナーが自由に食べられるもの)、どこでも売ってる昔からある製品だったが、食べるのは久し振りで、さくさくした歯触りと甘さ、バニラの香りが新鮮に感じられ、美味しかった。ロングセラーなわけだ。
献血後に食べるようにと出してもらったビスケット(ドナーが自由に食べられるもの)、どこでも売ってる昔からある製品だったが、食べるのは久し振りで、さくさくした歯触りと甘さ、バニラの香りが新鮮に感じられ、美味しかった。ロングセラーなわけだ。
2008年
03月
21日
(金)
00:01 |
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とりのなん子の『とりぱん 2』(ワイドKCモーニング)を読む。
東北のベッドタウンの住人が庭に作った餌台にやってくる野鳥や、昆虫(カマキリ)の生態、寒い冬の人間の生活を描いている。
海外旅行で南の島に行き、そこの海岸で珍しい植物を発見して、どきどきしながら日本に持ち帰るエピソードが面白かったが、その後、農林水産省横浜植物防疫所に行って検疫について取材していたのは良心的。
東北のベッドタウンの住人が庭に作った餌台にやってくる野鳥や、昆虫(カマキリ)の生態、寒い冬の人間の生活を描いている。
海外旅行で南の島に行き、そこの海岸で珍しい植物を発見して、どきどきしながら日本に持ち帰るエピソードが面白かったが、その後、農林水産省横浜植物防疫所に行って検疫について取材していたのは良心的。
2008年
03月
20日
(木)
00:01 |
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アーサー・C・クラークがスリランカのコロンボで亡くなった。九十歳。
何日か前、スリランカに行ってみたいような気がするという話をしていて、どうして? と聞かれて、紅茶だ仏教だと答えたが、クラークが住んでいるからとは言わなかった。
何日か前、スリランカに行ってみたいような気がするという話をしていて、どうして? と聞かれて、紅茶だ仏教だと答えたが、クラークが住んでいるからとは言わなかった。
2008年
03月
18日
(火)
00:01 |
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綾辻行人の『深泥丘奇談』(幽ブックス)を読む。連作短編集。
推理小説家の私は、目眩を治療してもらうために近所の深泥丘病院を訪れる。検査のため一泊している病室で、私は壁の染みが顔に見えてくる……
同じ名字の複数の医師、行く先々に現れる咲谷看護師、事情通の妻、色んなことが思い出せない主人公。
本人(主人公)だけが状況に馴染んでいない、何が起こっているのかよくわかっていない、でも深く追求する気力もない。これはもしや一服盛られて判断力がなくなった状況なのではないのだろうか。周囲がこぞって信仰する強力な邪神に、生け贄として捧げられようとしているのでは、と深読みしてみた。一話目の「顔」を読み始めたときは、どんなテイストかわからなくて戸惑ったが、主人公が病院で診察を受けるときに、医師にどんな小説を書いているのかと聞かれ、推理小説(ミステリ)と呼ばれるジャンルだと言うと、
「おや、そうですか。江戸川乱歩とか横溝正史とか牧野修とか、あのような?」
と応える、牧野修のところで、作品世界の約束が飲み込めた感じがして読みやすくなった。
「悪霊憑き」だけ初出が『ミステリーズ!』で、同じ登場人物と設定だが、少し色味が違っていた。
装丁が凝っていて面白かった。余白の落書きを思わせる挿絵の使い方も独特。
推理小説家の私は、目眩を治療してもらうために近所の深泥丘病院を訪れる。検査のため一泊している病室で、私は壁の染みが顔に見えてくる……
同じ名字の複数の医師、行く先々に現れる咲谷看護師、事情通の妻、色んなことが思い出せない主人公。
本人(主人公)だけが状況に馴染んでいない、何が起こっているのかよくわかっていない、でも深く追求する気力もない。これはもしや一服盛られて判断力がなくなった状況なのではないのだろうか。周囲がこぞって信仰する強力な邪神に、生け贄として捧げられようとしているのでは、と深読みしてみた。一話目の「顔」を読み始めたときは、どんなテイストかわからなくて戸惑ったが、主人公が病院で診察を受けるときに、医師にどんな小説を書いているのかと聞かれ、推理小説(ミステリ)と呼ばれるジャンルだと言うと、
「おや、そうですか。江戸川乱歩とか横溝正史とか牧野修とか、あのような?」
と応える、牧野修のところで、作品世界の約束が飲み込めた感じがして読みやすくなった。
「悪霊憑き」だけ初出が『ミステリーズ!』で、同じ登場人物と設定だが、少し色味が違っていた。
装丁が凝っていて面白かった。余白の落書きを思わせる挿絵の使い方も独特。
2008年
03月
17日
(月)
00:01 |
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ウェス・アンダーソン監督の『ダージリン急行』を観る。
一年前に父親が亡くなり、それがきっかけで仲違いをしたままのホイットマン三兄弟だったが、長男が呼びかけて、三人でインドの鉄道、ダージリン急行の個室に乗車して仲直りの旅をする。
冒頭、アメリカ人ビジネスマンがタクシーに乗って駅へと急ぐ場面があった。人やバイクや牛で混雑する道を通って駅に着き、動き出した列車(ダージリン急行)に乗ろうとホームを走る走る……この男がビル・マーレイ。ウェス・アンダーソン映画の常連だから出ていても不思議はないが、見終わってから、『ロスト・イン・トランスレーション』のインド版だということが予告されれていたと思った。あれは日本、東京を舞台にしていたけれど、日本も日本人も「ちょっと変わった背景」に過ぎなかった。インド人もインドの鉄道も、東京の、天井にレールがあって書類箱が書類を運んでいる病院みたいなものだ。
インドの景色など面白く観たが、アメリカが舞台でもいいのではないか。
『ダージリン急行』のプロローグとして、短編『ホテル・シュヴァリエ』が併映。三男のジャック(ジェイソン・シュワルツマン)がパリのホテル・シュヴァリエに滞在していると、恋人(ナタリー・ポートマン)が突き止めてやってくるという短編。これを先に観たおかげで、ジャックがホテル・シュヴァリエのバスローブを着ているわけもわかったし、ジャックが作家でどんな作風なのかもわかった。『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』でもずいぶん華奢だと思っていたが、裸になったポートマンの胴が鶏ガラみたいだったので驚いた。
一年前に父親が亡くなり、それがきっかけで仲違いをしたままのホイットマン三兄弟だったが、長男が呼びかけて、三人でインドの鉄道、ダージリン急行の個室に乗車して仲直りの旅をする。
冒頭、アメリカ人ビジネスマンがタクシーに乗って駅へと急ぐ場面があった。人やバイクや牛で混雑する道を通って駅に着き、動き出した列車(ダージリン急行)に乗ろうとホームを走る走る……この男がビル・マーレイ。ウェス・アンダーソン映画の常連だから出ていても不思議はないが、見終わってから、『ロスト・イン・トランスレーション』のインド版だということが予告されれていたと思った。あれは日本、東京を舞台にしていたけれど、日本も日本人も「ちょっと変わった背景」に過ぎなかった。インド人もインドの鉄道も、東京の、天井にレールがあって書類箱が書類を運んでいる病院みたいなものだ。
インドの景色など面白く観たが、アメリカが舞台でもいいのではないか。
『ダージリン急行』のプロローグとして、短編『ホテル・シュヴァリエ』が併映。三男のジャック(ジェイソン・シュワルツマン)がパリのホテル・シュヴァリエに滞在していると、恋人(ナタリー・ポートマン)が突き止めてやってくるという短編。これを先に観たおかげで、ジャックがホテル・シュヴァリエのバスローブを着ているわけもわかったし、ジャックが作家でどんな作風なのかもわかった。『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』でもずいぶん華奢だと思っていたが、裸になったポートマンの胴が鶏ガラみたいだったので驚いた。
2008年
03月
13日
(木)
00:01 |
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冬のある日、中国春蘭の翠蓋に今年も花芽が複数着いたことに気がついて、驚いた。ツバメの巣の中を覗いたら、雛がみっしり詰まっていた感じだったので。数えたら十はあった。
またしばらく忘れていたが、水をやっていたら花が咲き始めていた。花は小さめで円く、香りがある。つぼみの数を数えたら十二あった。
ほかの春蘭には花芽が着かないので、翠蓋は特別に花芽が着きやすいのだろう。聞かれたことはないが、春蘭を始めようとしている人にどれがいいかと聞かれたら、「翠蓋」を薦める。

またしばらく忘れていたが、水をやっていたら花が咲き始めていた。花は小さめで円く、香りがある。つぼみの数を数えたら十二あった。
ほかの春蘭には花芽が着かないので、翠蓋は特別に花芽が着きやすいのだろう。聞かれたことはないが、春蘭を始めようとしている人にどれがいいかと聞かれたら、「翠蓋」を薦める。

2008年
03月
12日
(水)
00:01 |
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東京国立博物館東洋館第8室で、特集陳列「蘭亭序」を見る。五月六日まで。(同じ室の半分は特集陳列「梅花」、三月九日まで)
東晋の王羲之が書いた「蘭亭序」の、宋代の複数の拓本や、流れを汲んだ書作品の特集。「蘭亭序」は、原本を臨書し、それを石に刻み、そこから拓本をとり、またそれを元に石碑を作ったり、臨書したりの、コピーに継ぐコピー……のみが現代に伝わっている。展示品は原本に忠実にあろうとしているのでどれも似ているが、状態が少しずつ異なっていて、その差異が興味深い。門外漢ながら、オリジナルの風はどれにも残っている感じがした。
また「梅花」を眺める。第四室の特集陳列「封泥」も面白かった。
本館を軽く流す。下村観山の六曲一双の屏風「弱法師(よろぼし)」も梅の大木が描かれていた。
東晋の王羲之が書いた「蘭亭序」の、宋代の複数の拓本や、流れを汲んだ書作品の特集。「蘭亭序」は、原本を臨書し、それを石に刻み、そこから拓本をとり、またそれを元に石碑を作ったり、臨書したりの、コピーに継ぐコピー……のみが現代に伝わっている。展示品は原本に忠実にあろうとしているのでどれも似ているが、状態が少しずつ異なっていて、その差異が興味深い。門外漢ながら、オリジナルの風はどれにも残っている感じがした。
また「梅花」を眺める。第四室の特集陳列「封泥」も面白かった。
本館を軽く流す。下村観山の六曲一双の屏風「弱法師(よろぼし)」も梅の大木が描かれていた。
2008年
03月
11日
(火)
00:01 |
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安曇潤平の『赤いヤッケの男 山の霊異記』(幽ブックス)を読む。短編集。
山歩きを愛する筆者が体験したり人から聞いた、山にまつわる不思議な話が二十五編。
気楽に、なんの気構えもなしに最初から読み始めたら、二番目の「アタックザック」が怖くて、ひやっとした。パターンとしては、どこかで見聞きしたことがあるのだけれど、それでも怖い。
不思議で怪しい出来事も、人気の少ない山でならあるかもと思わせられる。駐車場のトイレの鏡とか、都市伝説にもありそう。
山で遭難して亡くなった人の霊(のようなもの)がしばしば登場するが、恐ろしかったり、哀れだったり、親切だったと個性的で、生者と同じだった。
とても読みやすい文章で、怖い話でも、読み終わって不快感はなかった。思い出してぞっとすることはあっても。
「ゾンデ」の意外(と得心)、「牧美温泉」の鯉こくなど、印象に残るものが多かった。
山歩きを愛する筆者が体験したり人から聞いた、山にまつわる不思議な話が二十五編。
気楽に、なんの気構えもなしに最初から読み始めたら、二番目の「アタックザック」が怖くて、ひやっとした。パターンとしては、どこかで見聞きしたことがあるのだけれど、それでも怖い。
不思議で怪しい出来事も、人気の少ない山でならあるかもと思わせられる。駐車場のトイレの鏡とか、都市伝説にもありそう。
山で遭難して亡くなった人の霊(のようなもの)がしばしば登場するが、恐ろしかったり、哀れだったり、親切だったと個性的で、生者と同じだった。
とても読みやすい文章で、怖い話でも、読み終わって不快感はなかった。思い出してぞっとすることはあっても。
「ゾンデ」の意外(と得心)、「牧美温泉」の鯉こくなど、印象に残るものが多かった。
2008年
03月
10日
(月)
00:01 |
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ザック・ヘルム監督の『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』を観る。
ピアノの天才少女だったモリー(ナタリー・ポートマン)は二十三歳になり、おもちゃ屋で働いていた。このままでいいのかと思っていたところ、オーナーのマゴリアム氏(ダスティン・ホフマン)がモリーに店を譲ると宣言し、会計士に店の書類を作らせる。
舞台となるおもちゃ屋が楽しそうで楽しそうで、「おもちゃ屋」という空間もその状況を愛しているのだが、マゴリアム氏が死んでしまうことを知り、拗ねる。拗ねても、他人が引き留めても決まったことは覆らない。マゴリアム氏は、茶色の素敵な革靴を履いているが、雇った会計士のヘンリーに、「トスカーナ地方の小さな靴屋で見つけて、気に入ったので一生分買った。そしてこれが最後の一足」と言って、自分が一生分の靴を履きつぶしたことを告白する。このくだりはかっこいい。日本でリメイクするなら、マゴリアム氏は藤村俊二だろう。ナタリー・ポートマンは少女のように華奢でチャーミングなのだが、ピアニストという設定が全く生きていなかった。
どこがどうと指摘は出来ないが、全体に締まらない感じがした。
マゴリアム氏が一晩だけ入院する病院が、壁は白だが窓枠や扉の色が黄色で、暖かみがあって良かった。先に見た『潜水服は蝶の夢を見る』の海軍病院は、いかにも古い病院らしい水色だった。
ピアノの天才少女だったモリー(ナタリー・ポートマン)は二十三歳になり、おもちゃ屋で働いていた。このままでいいのかと思っていたところ、オーナーのマゴリアム氏(ダスティン・ホフマン)がモリーに店を譲ると宣言し、会計士に店の書類を作らせる。
舞台となるおもちゃ屋が楽しそうで楽しそうで、「おもちゃ屋」という空間もその状況を愛しているのだが、マゴリアム氏が死んでしまうことを知り、拗ねる。拗ねても、他人が引き留めても決まったことは覆らない。マゴリアム氏は、茶色の素敵な革靴を履いているが、雇った会計士のヘンリーに、「トスカーナ地方の小さな靴屋で見つけて、気に入ったので一生分買った。そしてこれが最後の一足」と言って、自分が一生分の靴を履きつぶしたことを告白する。このくだりはかっこいい。日本でリメイクするなら、マゴリアム氏は藤村俊二だろう。ナタリー・ポートマンは少女のように華奢でチャーミングなのだが、ピアニストという設定が全く生きていなかった。
どこがどうと指摘は出来ないが、全体に締まらない感じがした。
マゴリアム氏が一晩だけ入院する病院が、壁は白だが窓枠や扉の色が黄色で、暖かみがあって良かった。先に見た『潜水服は蝶の夢を見る』の海軍病院は、いかにも古い病院らしい水色だった。
2008年
03月
06日
(木)
00:01 |
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シェリー・フレイドントの『数独パズル殺人事件』(田口俊樹・訳、ヴィレッジブックス)を読む。
シンクタンクに勤める数学者のケイトは、オタクとからかわれていた少女時代から交友があるアヴォンデール教授から「助けて欲しい」との手紙をもらい、ニューハンプシャーの小さな町グランヴィルに帰郷する。アヴォンデール教授はパズル博物館の館長で、母親を亡くして寂しい思いをしていた幼いケイトにパズルを解く喜びを教えてくれた恩人だった。
ダイイングメッセージが数独パズルの空欄に書かれていたから " THE SUDOKU MADER " (原題)であった。数独が殺人を冒したわけではないし、数独が凶器でもなかった。
聡明で赤毛のケイト、対人スキルの低い警察署長、親切でお節介な伯母(一年前から髪を青く染めているが元はケイトと同じ赤毛)、ケイトに辛く当たる博物館の受付、蜂蜜パンのおいしいベーカリー、ケイトをオタクとからかっていて、大人になっても感じが悪い幼なじみ……と、なかなか魅力的な登場人物達と設定だった。
現代のアメリカ人の七割が肥満の問題を抱えていることを考えると、ケイトも肥満している可能性が高いのだが、そのような描写はなかったし、あまり食べることに熱心でないようだった。
シンクタンクに勤める数学者のケイトは、オタクとからかわれていた少女時代から交友があるアヴォンデール教授から「助けて欲しい」との手紙をもらい、ニューハンプシャーの小さな町グランヴィルに帰郷する。アヴォンデール教授はパズル博物館の館長で、母親を亡くして寂しい思いをしていた幼いケイトにパズルを解く喜びを教えてくれた恩人だった。
ダイイングメッセージが数独パズルの空欄に書かれていたから " THE SUDOKU MADER " (原題)であった。数独が殺人を冒したわけではないし、数独が凶器でもなかった。
聡明で赤毛のケイト、対人スキルの低い警察署長、親切でお節介な伯母(一年前から髪を青く染めているが元はケイトと同じ赤毛)、ケイトに辛く当たる博物館の受付、蜂蜜パンのおいしいベーカリー、ケイトをオタクとからかっていて、大人になっても感じが悪い幼なじみ……と、なかなか魅力的な登場人物達と設定だった。
現代のアメリカ人の七割が肥満の問題を抱えていることを考えると、ケイトも肥満している可能性が高いのだが、そのような描写はなかったし、あまり食べることに熱心でないようだった。
2008年
03月
04日
(火)
00:01 |
編集
東京国立博物館東洋館第8室で特集陳列「梅花」を見る。梅がテーマの作品が並ぶ。金農の「紅梅図」が展示されているのが嬉しい。
兪明(清末から民国初期の人)の「羅浮香夢図」は、満開の梅の古木にもたれて眠る人を月が照らすという構図で、花は白い点だし梅の枝は絡まり合った迷路のようなのだが、ことのほか好き。個人蔵で写真撮影禁止。羅浮山に遊んだ男が美女と出会い、酒を酌み交わして語るうちに眠ってしまい、目覚めると梅があるのみだったという隋代の故事にちなんだもの。寝顔を見ると良い夢を見ているようである。特集陳列は三月九日まで。
梅といえば、本館と東洋館の間から入る庭園(現在は立ち入り禁止)の入り口近くに紅梅の大木があり、メジロとおぼしき鳥が何羽も来て蜜をついばんでいた。
ちなみに今年の春の庭園解放は三月十五日から四月二十日まで。
兪明(清末から民国初期の人)の「羅浮香夢図」は、満開の梅の古木にもたれて眠る人を月が照らすという構図で、花は白い点だし梅の枝は絡まり合った迷路のようなのだが、ことのほか好き。個人蔵で写真撮影禁止。羅浮山に遊んだ男が美女と出会い、酒を酌み交わして語るうちに眠ってしまい、目覚めると梅があるのみだったという隋代の故事にちなんだもの。寝顔を見ると良い夢を見ているようである。特集陳列は三月九日まで。
梅といえば、本館と東洋館の間から入る庭園(現在は立ち入り禁止)の入り口近くに紅梅の大木があり、メジロとおぼしき鳥が何羽も来て蜜をついばんでいた。
ちなみに今年の春の庭園解放は三月十五日から四月二十日まで。
2008年
03月
03日
(月)
00:01 |
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ジュリアン・シュナーベル監督の『潜水服は蝶の夢を見る』を観る。原作者はジャン=ドミニク・ボビー。
ジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)、愛称ジャン=ドーは、気がつくと病院のベッドにいた。医者の説明によると脳出血の発作で全身が麻痺しているという。意識は清明なのに全身で自由になるのは左目だけ。倒れる前に本を出版する契約を結んでいたジャン=ドーは、左目の瞬きで単語を綴り(アルファベットを読み上げてもらい、その文字に来たときに瞬きをする)、本を書く。
仕事は順調、子どもは三人(一緒に住んではない)、恋人もいる四十二歳の働き盛りが突然体の自由を奪われる。あまりにも重い現実だが、ジャン=ドーはショックを受けながらも、自棄になることはなかった。理学療法士が美人なことを喜んだり。海辺の海軍病院に入院している設定だったが、ベランダから林と海が見える素敵なロケーションの病院だった。
ある意味で山場はここか。子ども達の母親(元恋人)は真っ先に面会に来て、その後も何度もやって来るが、現在の恋人はあまりの出来事に会いに行けない。ジャン=ドーの病室に恋人が電話を掛けてくる。今でも愛していると涙ながらに語る恋人。ジャン=ドーは瞬きで自分の気持ちを綴る「毎日君を待っている」……これを声に出すのが、たまたま居合わせた元恋人。まさに立ってる者は親でも使え。現実を受容する女と、現実を恐れる女のコントラストが鮮やか。
潰瘍の予防に右まぶたを縫いつけられる場面がショッキングだった。眼科ではよくある手技のようだ。そして、目に力を入れるので常に左目を大きく開いているアマルリックは、生瀬勝久のようだった。アマルリック……『ミュンヘン』(スティーヴン・スピルバーグ監督)に出ていた、情報屋のルイか。
ジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)、愛称ジャン=ドーは、気がつくと病院のベッドにいた。医者の説明によると脳出血の発作で全身が麻痺しているという。意識は清明なのに全身で自由になるのは左目だけ。倒れる前に本を出版する契約を結んでいたジャン=ドーは、左目の瞬きで単語を綴り(アルファベットを読み上げてもらい、その文字に来たときに瞬きをする)、本を書く。
仕事は順調、子どもは三人(一緒に住んではない)、恋人もいる四十二歳の働き盛りが突然体の自由を奪われる。あまりにも重い現実だが、ジャン=ドーはショックを受けながらも、自棄になることはなかった。理学療法士が美人なことを喜んだり。海辺の海軍病院に入院している設定だったが、ベランダから林と海が見える素敵なロケーションの病院だった。
ある意味で山場はここか。子ども達の母親(元恋人)は真っ先に面会に来て、その後も何度もやって来るが、現在の恋人はあまりの出来事に会いに行けない。ジャン=ドーの病室に恋人が電話を掛けてくる。今でも愛していると涙ながらに語る恋人。ジャン=ドーは瞬きで自分の気持ちを綴る「毎日君を待っている」……これを声に出すのが、たまたま居合わせた元恋人。まさに立ってる者は親でも使え。現実を受容する女と、現実を恐れる女のコントラストが鮮やか。
潰瘍の予防に右まぶたを縫いつけられる場面がショッキングだった。眼科ではよくある手技のようだ。そして、目に力を入れるので常に左目を大きく開いているアマルリックは、生瀬勝久のようだった。アマルリック……『ミュンヘン』(スティーヴン・スピルバーグ監督)に出ていた、情報屋のルイか。
2008年
03月
02日
(日)
00:01 |
編集
ヘルシンキの屋外マーケットで、カリフラワーとブロッコリーを足してピラミッドと宇宙の電波をまぶしたような黄緑色の野菜を目撃した。味は想像できたが形が面白くて、写真だけ撮ってきた。
日本にはまだない野菜なのだろうと思っていたら、新聞に新野菜と紹介される記事が載り、今日は売っているのを見た。横浜のサカタのタネの野菜直売コーナーで、ブロッコリー、カリフラワーと一緒に売られていた。
カリブロ花椰菜(はなやさい)、F1(一代雑種)との表示あり。
もしかしたら類似の他品種かも知れなかったが、晩秋のヘルシンキの思い出のために買った。
房を分けて電子レンジで加熱し、マヨネーズ風ドレッシングで食べる予定。

追記。
食べてみたが、口触りは尖ったカリフラワー。味もカリフラワーに近い。
日本にはまだない野菜なのだろうと思っていたら、新聞に新野菜と紹介される記事が載り、今日は売っているのを見た。横浜のサカタのタネの野菜直売コーナーで、ブロッコリー、カリフラワーと一緒に売られていた。
カリブロ花椰菜(はなやさい)、F1(一代雑種)との表示あり。
もしかしたら類似の他品種かも知れなかったが、晩秋のヘルシンキの思い出のために買った。
房を分けて電子レンジで加熱し、マヨネーズ風ドレッシングで食べる予定。

追記。
食べてみたが、口触りは尖ったカリフラワー。味もカリフラワーに近い。
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