日記、読書、映画。
機械之心
千年の祈り
2008年 01月 30日 (水) 00:01 | 編集
イーユン・リー(李翊雲)の『千年の祈り』(篠森ゆりこ・訳、新潮クレスト・ブックス)を読む。短編集。
最初の「あまりもの」と最後の「千年の祈り」だけ読んで、旅行に行くときに持って行って、結局一頁も読めずに帰ってきた。去年のことだ。二作読んだだけで、傑作の予感がした。
全作読んでみて、言葉の力に打ちのめされた。何百年も宦官を生み出してきた町に生まれた、独裁者のそっくりさんについて語られた「不滅」には、言葉もなかった。語り手は町という共同体そのものだったが、ここが驚きではない。それどころではない。歴史と慣習と面子が一人の男を押し潰すが、それは滅びではなく、歴史における一つのエピソードに過ぎない。訳者あとがきによると、リーはアイオワ大学でジェームズ・アラン・マクファーソンの創作講座を受講して「不滅」を書き上げるが、これを読んだときのマクファーソンの驚きと喜びは如何ばかりか。
どの作品も、親子や夫婦の問題という、当人にとっては大問題だが歴史から見れば小さい、普遍的なテーマが描かれていた。アメリカのみならず世界中の読者の多くが、心を寄せざるをえないだろう。
中国生まれ中国育ちの中国人で、外国語を獲得して創作をする女性作家といえば、シャン・サを思い出す。シャン・サが中国語で書かない理由は知らないが、リーが書かないのは「中国語で書くときは自己検閲して」しまうためらしい。正しくは書かないではなく、書けないだが。
むかし、フレデリック・ブラウンの『天の光はすべて星』を読んで、何故? と疑問に感じた部分があった。『天の光…』は宇宙飛行士、「千年の祈り」はロケットこうがくしゃが主人公だが、「千年の祈り」で、何故の部分を答えられたような感じがした。別人から、別の事情をではあるが。

公主帰還
2008年 01月 28日 (月) 00:01 | 編集
井上祐美子の『公主帰還』(講談社)を読む。短編集。
宋代が舞台になっているものが多かった。どれも佳作なのだが、叩き上げの指揮官で顔に涅(すみ、入れ墨のこと)がある狄(てき)青が主人公の「涅」が気に入った。短編ながらスケールが大きい。酒見賢一の『墨攻』を連想した。
関係ないが、台湾ではメイドカフェのことを女僕珈琲廳(珈琲店)というそうだ。メイドは女僕、日本語で言えば「おんなのしもべ」。
桜桃
2008年 01月 25日 (金) 00:01 | 編集
ジョアン・フルークの『チェリー・チーズケーキが演じている』(上條ひろみ・訳、ヴィレッジブックス)を読む。お菓子探偵ハンナ・シリーズ第八作。
ミネソタ州レイクエデンで〈クッキージャー〉を経営しているハンナ・スウェンセンは赤毛で独身の三十歳。一週間前に二人の男性にプロポーズされたハンナがどちらを選ぶかを町中の人が知りたがっていた。それはともかく、レイクエデンで映画が撮影されることになり、撮影隊一行が訪れて町は華やぐが、衆人環視の中、監督が拳銃で頭を撃って亡くなるという事件が発生する。タイトルで使われているチェリー・チーズケーキは監督の好物で、滞在中は毎朝届けるようにとハンナが注文を受けたもの。
映画監督がわざとらしいくらい女に手の早くて尊大な人物なので、これは逆にホモセクシァルか女装癖を隠しているのではないかと勘ぐりつつ読んだ。
映画を撮影するので大勢の人が町にやってきて、俳優の何人かは住民から選ぶというのは楽しそうだが、日本ならNHKの「のど自慢」がやってきたようなものだろうか。映画だし「寅さん」や「釣りバカ」の地方ロケの方が近いか。
今回も殺されるのはイヤな奴だった。
暑さに耐性
2008年 01月 24日 (木) 00:01 | 編集
大寒過ぎ・立春まえなのだから寒いのは道理なのだが、自宅のパソコンがうまく起動しなかったり、突然終了してしまったりするのは、冷え込みが厳しいときのような気がする。
ト、ひとに言ったら「そのパソ、台湾製でしょう?」と言い当てられた。「亜熱帯生まれだから寒さには弱いんですよ」
実話(複数)
2008年 01月 22日 (火) 00:01 | 編集
ポール・オースターの『トゥルー・ストーリーズ』(柴田元幸・訳、新潮文庫)を読む。エッセイ集。
オースターは初めて。幼少期の小銭稼ぎから始まった「報酬を得るための労働」の幾つかについて詳しく書いてあり、オースターは様々な職業を経験し、大学を出た後は長い間裕福ではなかったが、それらの経験が血肉になっていると文章を読んで感じた。面白かった。
人から聞いたり、自身の身の上に起こった不思議な偶然のエピソードの数々が興味深かったが、チャールズ・レズニコフの話はちょっと恐ろしかった。若い詩人だったレズニコフが自分の初めての詩集を著名な詩人に送ってしばらく経った頃、書店にいたところにその詩人が現れた。詩人は人と話をしているので、レズニコフが詩人に挨拶する機会をうかがっていると、レズニコフの本は読んだかと訊ねられた詩人が「読んだよ」「読んでクズだと思ったね」と言ったのを耳にする……(そして詩人と会話をするきっかけを逃すレズニコフ)
独逸黄色
2008年 01月 20日 (日) 00:01 | 編集
大崎善生の『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』(新潮文庫)を読む。短編集。
初めての恋とそれに伴う傷心に惑う若い女の姿が描かれる。別々の短編で別々の登場人物なのに、同じ一人のエピソードを読むというか、同じ旋律のヴァリエーションを聞かされた感じがした。それから、女に刻印のような傷をつけた男は、常に遠くにいるのだった。女性が「私がいかに傷ついたか」を語るのだが、どういうわけか、男が「昔の女」についてとくとくと語るのを聞かされたような印象。
「ドイツイエロー」という単語が気になって手に取った(同名の短編が収録されている)が、グッピーの体色の一種だった。
冬の土用
2008年 01月 18日 (金) 00:01 | 編集
本日十八日から土用の入り。
土用には土を掘り返すなど、土を動かす作業を始めるのはよろしくないとされているが、土用の前から始めている作業を続けるのはかまわないのだそうだ。

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カレーと女
2008年 01月 16日 (水) 00:01 | 編集
インド料理店でホウレンソウとマトンのカレーを注文したら、意外に辛かった。ちぎったナンをつけて食べると辛いがうまい。
隣のテーブルの若い男女も辛いと言いながら食べていたが、突然女の方がうつむいて黙り込み、おもむろに顔を上げて感に堪えかねたように「……辛いの」と言った。
辛いのは仕方がないが、それをことさら他人に訴えてどうしようというのだ。それとも、辛い物に不慣れ、もしくは苦手ということは「可愛い」の記号としてまだ生きているのだろうか。そう疑問に思ったとたん、男が「そんなに辛い? 無理するなよ」と笑い、女は「あたし、どうして辛い物だめなのかなあ?」と言っていたので、まだ有効らしいことが推測された。
家熙
2008年 01月 15日 (火) 00:01 | 編集
東京国立博物館に行く。平成館で特別展「宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝」。
エスカレーターで上がったところに、池坊の生け花があった。「砂物」という、四角い大鉢に梅の古木がいけられ、根本に白砂が敷かれたもので、近衞家で生けられたこともある特別展ゆかりのものらしい。以前にも東博で驚かされたが、造花。木肌とか乾いて反った苔とかも良くできている。
前半の展示は、こんなお宝を持っているなら自慢の一つもしたくなるだろうと感心しながら鑑賞していたが、後半で近衞家熙の世界が展開すると、ちょっと身を乗り出してしまった。端正な書や西洋の香りがする写実的で美しい植物画、家熙のセンスで表装された掛け軸(中国や欧州の布地を使用)などなど。宋の徽宗(北宋の第八代皇帝)を連想した。不勉強で近衞家熙を知らなかったことが恥ずかしい。
低くない
2008年 01月 14日 (月) 00:01 | 編集
寝室を暖かくして寝るようになって一週間。献血に行った。成分献血。問題なく終了。
問診の時と献血終了時の血圧(上の方)に差がなく、前回のように血圧が低くて起き上がるのを制止されるということのないレベルだった。一週間では効果は出ないかもしれないが、まるで効いていないということもないだろう。
心は錦
2008年 01月 10日 (木) 00:01 | 編集
森田芳光監督の『椿三十郎』を観る。原作は山本周五郎。脚本は菊島隆三・小国英雄・黒澤明。
寂れた神社で藩内の汚職を誰に告発すればよいのかと話し合っている若侍が九人。それを聞いてしまった浪人(織田裕二)が、若者たちの間抜けぶりに助け船を出してしまい、結局最後まで面倒を見ることになる。
一応正義に与する若侍が揃いもそろって表六玉で、これは意図したキャスティングなのかどうか迷った。それに比べて悪い大人たち(ベテラン俳優陣)の立派なこと。豊田悦司は頭の切れるかっこいいワルだった。押入の人を演じた佐々木蔵之介もひょうひょうとして良かった。家老の娘の千鳥は鈴木杏で、おっとりとして可愛らしいが、その母親役の中村玉緒が独身時代に演じたお姫様ぶりには及んでいない。
「あの人(椿)は着ている物は襤褸だけど、立派な人だ」というような台詞があり、織田裕二は確かに一張羅だったが、着物の生地は薄くなっていたり穴が開いたりしておらず、襟や袖が垢じみてもいない、継ぎも当たっていなかった。ぜんぜん襤褸じゃない。過去の傑作を脚本はそのまま現代風にリメイク(古い革袋に新しい酒を入れる)という製作側の考えもわかるが、細部に目配りが行き届いていないように思えた。
氷の右手
2008年 01月 09日 (水) 00:01 | 編集
鍼灸の勉強をしているという人に、血圧が低いことを訴えたら、脈を丹念にとって、「寝室が寒くて眠りが浅い。右側に窓があるのではないか、右が冷えている。風邪が治りきっていないので暖かくすること。鍋とか、暖かいものを食べると良い」という見立てだった。窓は左だし、風邪は治りかけも何もまだ引いていないが、寝室が寒いというのはその通りだった。明け方に目が覚めるのも寒いせいらしい。
さっそく暖房が朝までついているようにしたら、明け方に目が覚めることはなかった。右腕が肩まで布団から出て、冷えていた。いつもこんな寝相だから右が冷えているのだろう。
サマンサ
2008年 01月 08日 (火) 00:01 | 編集
フランシス・フローレンス監督の『アイ・アム・レジェンド』を観る。原作はリチャード・マシスンの『地球最後の男』
二〇一二年、アメリカ・ニューヨーク市。致死性のウイルスが蔓延し、人類は絶滅。生き残った人類は日光に当たると焼け死ぬので夜しか行動しない攻撃性の強い存在に変貌していた。免疫のあるロバート・ネヴィル博士(ウィル・スミス)は、廃墟と化したニューヨークに一人で愛犬サムと暮らしていた。
植物が街を浸食し野生の鹿が群れをなすニューヨークを見て、映画に求めるものは見たことのない景色だと改めて思った。それがあるかないかで満足度は違う。"legend "の解釈、911テロを意識した「ここがグラウンドゼロだ、ここで始まったからここで闘う」というようなネヴィルの台詞に自己犠牲や勇気を感じて感動することはできなかったが、未知の景色を見たという満足感はある。
ジャーマンシェパードのサム(サマンサ)が素晴らしい。演技もそうだし、物語の中での存在も。あの賢く勇敢な犬がいなければ、ネヴィルは孤独に耐えて生き続けることは出来なかったに違いない。
冬の旅
2008年 01月 07日 (月) 00:01 | 編集
似鳥鶏の『理由(わけ)あって冬に出る』(創元社推理文庫)を読む。
市立高校の芸術棟に幽霊が出るという噂が囁かれていた。幽霊は六月から行方不明の立花さんで、立花さんは壁男に殺されたのだという噂だった。僕(葉山くん)と文芸部長の伊神さんは幽霊の正体を推理する。
楽しく読めたが、何とはなしに物足りなかった。ライトノベルっぽいが、ラノベとしてもミステリとしてもどっちつかずな感じ。幽霊の正体探しに際してサンドイッチを作ってきて、「紙袋を持ったまま、高さ一・八メートルの門扉をワンステップで乗り越え」ることができる高島先輩の、用意周到さと驚異の運動神経がなんの伏線になっていないこととか、立花先輩の決着の付け方とか。膨らむ方向に膨らまなかったことが予想外の驚きをもたらさず、期待外れ。物足りないが、好きな雰囲気だった。
伊神さんは、自称が「僕」なのだが漠然と女子だと思った。なので、地の文で「彼」とか「男」とか出てこないかと注意して読んでいたが、そういう表現は一度もなかったはず。あとがきで「ひひひ。きっと読んだやつはここで騙されるぞ」という作者の愉しみについて書かれた文章を読んで、やっぱりそうかと思い、表紙のイラストを見たら、制服を着た男女二人。男の方が語り手の僕こと葉山くんだとするともう一人は伊神さんで、だったら女子なのであろう。本文では触れられていないが女装男子かもしれないが。
実は読み終わるまで『理由あって冬に旅に出る』だと思いこんでいて、好いタイトルだと思っていた。
劇団ひとりの『陰日向に咲く』も、最近まで『日陰に咲く花』だと思っていた。
蓮と睡蓮
2008年 01月 06日 (日) 00:01 | 編集
原田眞人監督の『魍魎の匣』を観る。原作は京極夏彦の同名小説。
一九五二年の東京。引退した女優の柚木陽子(黒木瞳)の娘加菜子が行方不明になるが、おりしも連続バラバラ殺人事件が発生しており、陽子は探偵の榎木津(阿部寛)に捜査を依頼する。
原作は未読。登場人物はなんとなく知っている程度。おかげで、そうとう端折っているとは思ったが、けっこう面白く観た。榎木津が乗り回す赤いビュイックが良い。郊外に行くと道が未舗装だったりして、ガタガタするのも良かった。スクリーンの東京が、戦前の上海の街並みを再現した中国の撮影所(名前を失念)で撮ったようだと思ったら、まさにそうだったようだ。あの水路や駐在さんが自転車で通る石畳の路地は周庄か烏鎮(どちらも上海のガイドブックに紹介されている、古い街並みが保存されている美観地区)あたりでのロケか。後半の箱の家は、世界征服を企む悪者の秘密基地で、美馬坂(柄本明)はそこに相応しいマッドサイエンティストぶり。加菜子の自称が「ぼく」で、親友の頼子に「きみ」と呼びかけていて、吉屋信子の少女小説のよう。
かように、みるべき場面も多いのだが、原作の方が面白いだろうことは容易に想像出来た。
最初の方で、榎木津が「階段の下に池、蓮の」と言っていたが、蓮ではなく睡蓮だった。季節は秋なのに、熱帯睡蓮みたいな派手な花が咲いていた(撮影所だから造花かも)。もしかしたら榎木津が花の名前を知らない、蓮と睡蓮の区別がつかないキャラクターだったのかも。仏教では厳密に区別されていないものだし、いずれにせよ物語の進行には関係なかった。
歌留多
2008年 01月 04日 (金) 00:01 | 編集
Starbucksの福袋にオリジナルタンブラーが入っているというので、ラテンアメリカ、アフリカ・アラビア、アジア・太平洋の三種類から、アフリカを買った。税込み三千円。
ケニアのコーヒー豆と、ゾウやキリンの描かれたタンブラー、底にラバーのついた陶器のカップ、音楽CD "African beat"、膝掛け、カルタが入っていた。全てスターバックスのオリジナル。満足。
豆はすでに挽いてあるので早速フィルターで入れてみる。ほどよい酸味で好きなタイプだった。
恭賀新嬉
2008年 01月 01日 (火) 00:01 | 編集
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万事如意。
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