2007年
01月
31日
(水)
20:04 |
編集

台所で燻製が作れるスモーカーをもらったので、初めての燻製。
ウズラのゆで卵を作り、殻を剥いたりヒビを入れ(結果から言うと、卵の殻は剥いて漬けた方が良かった)、醤油と砂糖と水で作ったタレに半日漬ける。
卵の殻を剥き、水気を拭いておく。
スモーカーの下部をガスの火にかけ、チップから煙が出てきたところでゆで卵の入った上部をセット。余裕があったので冷蔵庫にあったカニ風カマボコも投入。蓋をして弱火で五分。火を止めて三十分。完成。白身のタレに漬かっていなかった部分も黄色くなっている。カマボコの白いところも茶色っぽくなり、赤は濃くなり、締まった感じ。
食べてみる。単純な味付けゆで卵に深みが増し、美味しい。へにゃへにゃしたカマボコも締まって端が固くなり、ふた味くらい良くなっている。
熱燻法なので燻製と言っても保存は効かないが、手軽なのが良い。
換気扇を回していても部屋の中が煙っぽくなり、自分自身も燻されるのが問題。
2007年
01月
30日
(火)
23:08 |
編集
怪しい隣人vol.11 @CLUB Que(下北沢)
青山陽一のライブ。ゲストはおおはた雄一、bird。
おおはた雄一、不勉強でまったく知らなかったが、大変素晴らしいギター弾きだった。ラップスティールの佐藤克彦との息もぴったり。佐藤を信頼し尊敬しているらしいことは、何度も佐藤の名前(かっちゃん)を呼んで紹介したのでわかった。アメリカのどこかのダイナーで夜明けに薄いコーヒーを飲んでいたり、椰子の木のある海岸を歩いたり、スコットランドの荒れ地を歩いているような気持ちにさせられる演奏だった。
生のbirdは初めて。歌っていない時は華奢で可愛らしい(京都のアクセントで話すのも良い)のに、半眼で歌う姿には大きな力を感じた。髪をまとめて頭のてっぺんにシニヨンを一つ……田舎の古いお寺で大事に祀られている平安後期の十一面観音立像のようにも見えた。青山陽一と歌った「マイペンライ」が格好良かった。
「休符を数えて生きるのは」の前奏が始まると、上海の繁華街を歩いていたらジャズの生演奏が聞こえてきたときのことを思い出した。思い出したというよりも、そこに戻った感じがした。宵の口の南京東路の外れ、夕飯は何を食べようかと思案しながら歩いていた。不安な足取りで。
この「休符を……」の主人公は管楽器の演奏者なのだが、この日は青山陽一のギターの他はオルガンとドラムだけで演奏され、口笛の一吹きも無かった。無くても吹奏楽者の悲哀は充分に表現されていた。無いからこその喪失感も。
青山陽一のライブ。ゲストはおおはた雄一、bird。
おおはた雄一、不勉強でまったく知らなかったが、大変素晴らしいギター弾きだった。ラップスティールの佐藤克彦との息もぴったり。佐藤を信頼し尊敬しているらしいことは、何度も佐藤の名前(かっちゃん)を呼んで紹介したのでわかった。アメリカのどこかのダイナーで夜明けに薄いコーヒーを飲んでいたり、椰子の木のある海岸を歩いたり、スコットランドの荒れ地を歩いているような気持ちにさせられる演奏だった。
生のbirdは初めて。歌っていない時は華奢で可愛らしい(京都のアクセントで話すのも良い)のに、半眼で歌う姿には大きな力を感じた。髪をまとめて頭のてっぺんにシニヨンを一つ……田舎の古いお寺で大事に祀られている平安後期の十一面観音立像のようにも見えた。青山陽一と歌った「マイペンライ」が格好良かった。
「休符を数えて生きるのは」の前奏が始まると、上海の繁華街を歩いていたらジャズの生演奏が聞こえてきたときのことを思い出した。思い出したというよりも、そこに戻った感じがした。宵の口の南京東路の外れ、夕飯は何を食べようかと思案しながら歩いていた。不安な足取りで。
この「休符を……」の主人公は管楽器の演奏者なのだが、この日は青山陽一のギターの他はオルガンとドラムだけで演奏され、口笛の一吹きも無かった。無くても吹奏楽者の悲哀は充分に表現されていた。無いからこその喪失感も。
2007年
01月
30日
(火)
05:00 |
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電車の中で、後ろに立った会社員と思しき二人の男性が、自分の恋人の家族に会ったことがあるかどうかを話していた。彼女の家族と花火大会に行ったとか、自分の親には会わせたが彼女の親には会っていないとか話すうち、「結婚はどうよ」となり、カネがないので結婚はまだまだ先、そもそも想像できないと言い合っていた。
**課の某さんは結婚してすぐに子どもが生まれた”出来ちゃった婚”だったなあ、あんまり結婚したくなかったみたいだったけど、「でも仕方がないよね」「仕方がないよ」「結婚する一番確実な方法だよね」「これ以上なく確実」
**課の某さんは結婚してすぐに子どもが生まれた”出来ちゃった婚”だったなあ、あんまり結婚したくなかったみたいだったけど、「でも仕方がないよね」「仕方がないよ」「結婚する一番確実な方法だよね」「これ以上なく確実」
2007年
01月
29日
(月)
10:00 |
編集
山形石雄の『戦う司書と追憶の魔女』(スーパーダッシュ文庫)を読む。
若き武装司書ヴォルケンが、館長代行のハミュッツ=メセタに反旗を翻す。先代の館長代行フォトナの薫陶を受け、武装司書は正義であるべきだと信じるヴォルケンにとって、ハミュが肉(神溺教団で記憶を消されて奉仕させられるヒトの通称)達を見殺しにしたことは許し難い裏切り行為であった。
死んだ人間が「本」となる世界で、「本」を収めるバントーラ図書館と「神溺教団」は敵対関係にある。しかし前作で明らかになったように、二つの巨大な組織は単に対立しているわけではない。事情を知らないヴォルケンの情熱の空回りが哀れ。正義を旗印に、高潔であることだけでは武装司書は勤まらない。清濁併せ呑む器量もなければ館長代行にはなれない。というか、館長代行となる位なら、強いばかりでなく相当悪人でもないといけないらしい。
シリーズも五作目だが、登場人物の名前が覚えられない。ハミュッツ=メセタはバッチリなのだが、それ以外は混同したり、思い出せなくて考え込んだり、頁を前に戻ったりすることがよくある。戻っても登場しない場合があるので困る。
挿絵の前嶋重機が十年前のハミュを描いていたが、そのハミュのシャツにはウサギのアップリケがなかった。ウサギはいつからハミュのトレードマークになったのだろう。これは伏線なのか。
若き武装司書ヴォルケンが、館長代行のハミュッツ=メセタに反旗を翻す。先代の館長代行フォトナの薫陶を受け、武装司書は正義であるべきだと信じるヴォルケンにとって、ハミュが肉(神溺教団で記憶を消されて奉仕させられるヒトの通称)達を見殺しにしたことは許し難い裏切り行為であった。
死んだ人間が「本」となる世界で、「本」を収めるバントーラ図書館と「神溺教団」は敵対関係にある。しかし前作で明らかになったように、二つの巨大な組織は単に対立しているわけではない。事情を知らないヴォルケンの情熱の空回りが哀れ。正義を旗印に、高潔であることだけでは武装司書は勤まらない。清濁併せ呑む器量もなければ館長代行にはなれない。というか、館長代行となる位なら、強いばかりでなく相当悪人でもないといけないらしい。
シリーズも五作目だが、登場人物の名前が覚えられない。ハミュッツ=メセタはバッチリなのだが、それ以外は混同したり、思い出せなくて考え込んだり、頁を前に戻ったりすることがよくある。戻っても登場しない場合があるので困る。
挿絵の前嶋重機が十年前のハミュを描いていたが、そのハミュのシャツにはウサギのアップリケがなかった。ウサギはいつからハミュのトレードマークになったのだろう。これは伏線なのか。
2007年
01月
28日
(日)
12:00 |
編集
献血ルームで成分献血(血小板)。
モスバーガーで期間限定のキノコのクリームフォカッチャとモスライスバーガー海鮮かきあげ(塩だれ)を食べる。
東京国立博物館へ行く。東洋館第3室でインドの細密画をガラスケースを呼気で曇らせながら見る。館内の休憩用のソファで『戦う司書と追憶の魔女』を読み終える。
アメ横でチョコレートを買って帰る。
モスバーガーで期間限定のキノコのクリームフォカッチャとモスライスバーガー海鮮かきあげ(塩だれ)を食べる。
東京国立博物館へ行く。東洋館第3室でインドの細密画をガラスケースを呼気で曇らせながら見る。館内の休憩用のソファで『戦う司書と追憶の魔女』を読み終える。
アメ横でチョコレートを買って帰る。
2007年
01月
26日
(金)
09:44 |
編集
テレビで納豆を食べると痩せると喧伝されたが、ほどなくそれはデータを捏造したものだということが明らかになった。その番組も見てないし納豆を食べる習慣もないが、スーパーに行った時に思い出したので納豆売り場を覗く。閉店間近い時間のせいか納豆はほとんど無い。せっかくなので一つだけ残っていた、やや単価の高い大粒納豆を買った。
冷蔵庫に入れたまま食べる機会を逸していたが、思い切って取り出して開封。納豆を箸で適当にかきまぜ、附属のタレと辛子を混ぜてさらに混ぜる。食べる。慣れない味と匂いに後悔が始まる。最後に納豆を食べたのはいつだったろう? 去年は二回くらい食べた気がするが、今年はこれが初めてだ。
薬だと念じながら食べ終わってうがいをする。腹の中で豆が石に変じて胃の底に留まっている感じがしてきた。胃が苦しく、寒気もしてきた。風邪のひき初めのような感覚は一時間ほど続いた。
このデータ捏造事件には、テレビだからそういうこともあるだろうという感想を持ったに過ぎなかったが、製作会社が日本テレワークわかった途端、あの「ひらけ!ポンキッキ」を作ったテレワークが? 野田昌宏のテレワークが? と動揺した。不二家の製菓工場で使用期限が切れた材料でケーキを作っていたことが知られた時以上に。
冷蔵庫に入れたまま食べる機会を逸していたが、思い切って取り出して開封。納豆を箸で適当にかきまぜ、附属のタレと辛子を混ぜてさらに混ぜる。食べる。慣れない味と匂いに後悔が始まる。最後に納豆を食べたのはいつだったろう? 去年は二回くらい食べた気がするが、今年はこれが初めてだ。
薬だと念じながら食べ終わってうがいをする。腹の中で豆が石に変じて胃の底に留まっている感じがしてきた。胃が苦しく、寒気もしてきた。風邪のひき初めのような感覚は一時間ほど続いた。
このデータ捏造事件には、テレビだからそういうこともあるだろうという感想を持ったに過ぎなかったが、製作会社が日本テレワークわかった途端、あの「ひらけ!ポンキッキ」を作ったテレワークが? 野田昌宏のテレワークが? と動揺した。不二家の製菓工場で使用期限が切れた材料でケーキを作っていたことが知られた時以上に。
2007年
01月
25日
(木)
10:39 |
編集
ソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』を観る。
オーストリアからフランス王太子の元へ芳紀十四歳のマリー・アントワネット(キルスティン・ダンスト)が輿入れする。夫のルイ・オーギュストは錠前作りと狩猟に夢中で、年若い花嫁の肉体に興味を示さない。周囲からは不妊症だ不感症だと囁かれ、故国の母親からも早く世継ぎをもうけて地位を安定させよと矢の催促が飛んで来て、マリー・アントワネットは浪費と遊興にうつつを抜かす。
音楽はポップで、衣装は豪華、浪費の象徴としての菓子や靴はパステルで、次々と現れる。キキに興味があるから観たが、ヨーロッパの時代劇が好きでわけてもフランスに興味がある人には楽しめるだろう。キキはといえば可愛らしくもあどけない十四歳を演じていた。裸になった時の薄い肉体(脊柱が数えられそう)が少女めいていた。
念願の第一子を得たマリー・アントワネットは、小さな館と田園風の広大な庭の中で農家風(あくまでも”風”であって、朝から晩まで爪の間に泥が入るほど農業をするわけではない)の暮らしを楽しむ。作り物めいてはいても幸せそうであった。
フェルゼン伯爵に王妃マリー・アントワネットは恋をするのだが、フェルゼンを演じたジェイミー・ドーナンの大きな黒目に、”女は自分を好きにならずにいられない”という甘えと傲慢が覗いていた。黒目の男。
日本では池田理代子の『ベルサイユのバラ』が人口に膾炙しているから、多くの人は観ても置いてけぼりにされることはないに違いない。フェルゼンは実在の人物でオスカルは架空の人物とわかっていても、オスカルはどうした! 男装の麗人は出ないのかと物足りなく感じてしまったが。
本編には関係ないが、余興で皿回しの東洋人の一団(顔を白塗りにした女性)が出てきた。不自然ではないが、やったのがソフィア・コッポラだと思うと、またエキゾチズムを演出するためだけに東洋人を出したな、背景や彩りに使って満足したかと興醒めするのだった。
オーストリアからフランス王太子の元へ芳紀十四歳のマリー・アントワネット(キルスティン・ダンスト)が輿入れする。夫のルイ・オーギュストは錠前作りと狩猟に夢中で、年若い花嫁の肉体に興味を示さない。周囲からは不妊症だ不感症だと囁かれ、故国の母親からも早く世継ぎをもうけて地位を安定させよと矢の催促が飛んで来て、マリー・アントワネットは浪費と遊興にうつつを抜かす。
音楽はポップで、衣装は豪華、浪費の象徴としての菓子や靴はパステルで、次々と現れる。キキに興味があるから観たが、ヨーロッパの時代劇が好きでわけてもフランスに興味がある人には楽しめるだろう。キキはといえば可愛らしくもあどけない十四歳を演じていた。裸になった時の薄い肉体(脊柱が数えられそう)が少女めいていた。
念願の第一子を得たマリー・アントワネットは、小さな館と田園風の広大な庭の中で農家風(あくまでも”風”であって、朝から晩まで爪の間に泥が入るほど農業をするわけではない)の暮らしを楽しむ。作り物めいてはいても幸せそうであった。
フェルゼン伯爵に王妃マリー・アントワネットは恋をするのだが、フェルゼンを演じたジェイミー・ドーナンの大きな黒目に、”女は自分を好きにならずにいられない”という甘えと傲慢が覗いていた。黒目の男。
日本では池田理代子の『ベルサイユのバラ』が人口に膾炙しているから、多くの人は観ても置いてけぼりにされることはないに違いない。フェルゼンは実在の人物でオスカルは架空の人物とわかっていても、オスカルはどうした! 男装の麗人は出ないのかと物足りなく感じてしまったが。
本編には関係ないが、余興で皿回しの東洋人の一団(顔を白塗りにした女性)が出てきた。不自然ではないが、やったのがソフィア・コッポラだと思うと、またエキゾチズムを演出するためだけに東洋人を出したな、背景や彩りに使って満足したかと興醒めするのだった。
2007年
01月
24日
(水)
07:06 |
編集
去年の暮れから書店で探して見つからなかった山形石雄の『戦う司書と追憶の魔女』(スーパーダッシュ文庫)を発見する。年内にネットでレビューも読んだし、年頭に知り合いに会った時に実物を見せられたので、存在しているのは知っていたのだが、見つからなかった。
発見したのは、たまにしか行かない書店に行った時で、シリーズ既刊ともども平積みされていた。今思えば『狼と香辛料3』も同じパターンで発見されたのだった。
発見したのは、たまにしか行かない書店に行った時で、シリーズ既刊ともども平積みされていた。今思えば『狼と香辛料3』も同じパターンで発見されたのだった。
2007年
01月
22日
(月)
23:15 |
編集

かき揚げ丼を食べていた。小海老や帆立のかき揚げは厚く丸く、さっくりと揚がっており、辛めのタレにご飯がよく合っている。半分近く食べて、ご飯の水加減がちょうど良いから美味しいことに気が付いた。少し硬めに炊いてあり、そのためタレがよく絡むのだ。
過日、評判の良い鰻屋に行った。清水で泳がせて身を締めた鰻を蒲焼きにしたものを鰻重で食べた。泥臭さは皆無で、皮までも柔らかい鰻だった。もう少ししょっぱいタレが好みなのだが、その鰻には合っていた。
連れは「鰻はうまいな」と言う。鰻が美味ければそれでいいではないかと思ったが、気になったので店を出た後で聞いたら、ご飯が、ご飯として食べた時には好いのだが、鰻重として鰻とタレと一緒に食べるには水分が多すぎると言った。「だからご飯とタレがからまない、イマイチ」と。
その時はそういうものかと思いつつ、意味がよくわからなかったが、天丼を食べて、ようやく米の水加減の重要さに気が付いた次第。
2007年
01月
21日
(日)
23:50 |
編集
桜庭一樹の『赤朽葉家の伝説』(東京創元社)を読む。
鳥取県紅緑村の旧家、赤朽葉家に乞われて嫁いできた万葉(まんよう)は、やがて千里眼の奥様と呼ばれるようになる……万葉の孫で毛毬の娘の瞳子によって語られる、万葉とその娘毛毬の人生。三部立てなのだが、第三部では一転ミステリのように謎解き(被害者探し)になって意表を衝かれた。そういった構成も含めて、飽きることなく一気に読んだ。まるでお伽話のような第一部、第二部では丙午(ひのえうま)生まれの毛毬の青春とバブル経済に浮かれる日本が描かれ、毛毬が描いた大ヒット漫画『あいあん天使(エンジェル)!』は秋里和国の『花のあすか組!』(未読)のような漫画だと思った。
登場する赤朽葉家の女達はみな結婚によって不幸になることはなかった。少なくとも男や家族から日常的な暴力や人権侵害を受けている様子はなかった。男と同じこと(喧嘩、バイク、大金を稼ぐ仕事、妊娠のためのセックス、浮気)をする女も登場した。家を陰で支えるのが女の仕事だと書かれていたが、それは姑から邪険にされることでも、夫からセックス付きの家政婦として扱われることでもない。しかし、「なにしろ千里眼の女は夢見がちで、漫画家の女は天性の嘘つきである。祖母の万葉と、母の毛毬が語る昔語りは、二人の主観であって、ただそれだけ」で、何もかも語られたわけではないのかも知れないが、女性が一方的な被害者でない希有な作品だと思った。
ところで、十歳の万葉を息子の将来の嫁と決め、泪・毛毬・鞄・孤独と孫達を名付けた大奥様の赤朽葉タツはどういう人だったのだろう。赤朽葉分家から嫁いで来たらしい(あまりに堂々としているので赤朽葉の家付き娘かと思った)が、それくらいしか情報がなく、気に掛かる人物であった。
万葉は中学を出ているが文字が読めず、難読症と思われた。毛毬が異母妹の百夜を可視しなかったのは、万葉の難読症が遺伝していたため視界に入っている百夜を人と理解出来なかったのではないだろうか。そうでないならあまりにも念の入った残酷な無視だ。
(第三部で、瞳子は叔父の孤独を見くびっているのだが、これは伏線でいずれ回収されると思いこんでいた。伏線の回収が大好きな桜庭が残すとは思えないので、伏線でも何でもなかったのだろう。)
鳥取県紅緑村の旧家、赤朽葉家に乞われて嫁いできた万葉(まんよう)は、やがて千里眼の奥様と呼ばれるようになる……万葉の孫で毛毬の娘の瞳子によって語られる、万葉とその娘毛毬の人生。三部立てなのだが、第三部では一転ミステリのように謎解き(被害者探し)になって意表を衝かれた。そういった構成も含めて、飽きることなく一気に読んだ。まるでお伽話のような第一部、第二部では丙午(ひのえうま)生まれの毛毬の青春とバブル経済に浮かれる日本が描かれ、毛毬が描いた大ヒット漫画『あいあん天使(エンジェル)!』は秋里和国の『花のあすか組!』(未読)のような漫画だと思った。
登場する赤朽葉家の女達はみな結婚によって不幸になることはなかった。少なくとも男や家族から日常的な暴力や人権侵害を受けている様子はなかった。男と同じこと(喧嘩、バイク、大金を稼ぐ仕事、妊娠のためのセックス、浮気)をする女も登場した。家を陰で支えるのが女の仕事だと書かれていたが、それは姑から邪険にされることでも、夫からセックス付きの家政婦として扱われることでもない。しかし、「なにしろ千里眼の女は夢見がちで、漫画家の女は天性の嘘つきである。祖母の万葉と、母の毛毬が語る昔語りは、二人の主観であって、ただそれだけ」で、何もかも語られたわけではないのかも知れないが、女性が一方的な被害者でない希有な作品だと思った。
ところで、十歳の万葉を息子の将来の嫁と決め、泪・毛毬・鞄・孤独と孫達を名付けた大奥様の赤朽葉タツはどういう人だったのだろう。赤朽葉分家から嫁いで来たらしい(あまりに堂々としているので赤朽葉の家付き娘かと思った)が、それくらいしか情報がなく、気に掛かる人物であった。
万葉は中学を出ているが文字が読めず、難読症と思われた。毛毬が異母妹の百夜を可視しなかったのは、万葉の難読症が遺伝していたため視界に入っている百夜を人と理解出来なかったのではないだろうか。そうでないならあまりにも念の入った残酷な無視だ。
(第三部で、瞳子は叔父の孤独を見くびっているのだが、これは伏線でいずれ回収されると思いこんでいた。伏線の回収が大好きな桜庭が残すとは思えないので、伏線でも何でもなかったのだろう。)
2007年
01月
18日
(木)
06:01 |
編集

シアトルズベストコーヒー。S.B.C.を利用するのは二度目。
ラテを注文し、何か食べようかとショーケースを見て迷っていると、「マフィンがおすすめです」と店員に言われたので、ブルーベリークリームチーズマフィンを注文する。トレイにのせられて見るとかなり大ぶり。
食べてみるとブルーベリーもたくさん入っているし、ラテにも合う。というか飲み物が欲しくなる、商売上手なマフィンだ。
日本人の若い女性とアフリカ系男性のカップルが店内にいたが、この男性は日本語がよく話せるようで、二人は丁寧な言葉遣いで静かに会話していた。携帯電話で英語で話す時だけ、一瞬テンションがあがっていた。
桜庭一樹の『赤朽葉家の伝説』読書中。鳥取県西部の紅緑村を舞台にした、祖母・娘・孫の三代の物語。まだ祖母の万葉の部分を読み終わったところだが、たいへん引き込まれた。お伽話のようなエピソードと現実味の混ざり具合が絶妙。有吉佐和子や宮尾登美子を彷彿とさせる。
2007年
01月
17日
(水)
07:03 |
編集
ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス 監督の『リトル・ミス・サンシャイン』を観る。
七歳のオリーヴは眼鏡で小太りだが、ミス・コンテストで優勝するのが夢。ある日、繰り上げ当選で”リトル・ミス・サンシャイン”の本選に出場することが決まり、家族六人――オリーヴ、父親、母親、薬物依存(鼻から白い粉を吸っていたので多分コカイン)の祖父、自殺未遂をしたばかりの伯父、九カ月間無言を貫いている十五歳の兄――で一台の車(オンボロ)に乗り込み、会場のカリフォルニアを目指す。
噛み合わない家族が一緒に短い旅をしているうちに、人生の転機が訪れたり訪れなかったりして、勝者はいないがそんなに悪くない人生があることを知る。
トニ・コレットの、生活に疲れているのに底力がありそうな母親が良かった。毒舌家(というかジャンキー)の舅のあしらいぶりが立派。
オリーヴを演じたアビゲイル・ブレスリンが可愛くて、『サイン』(ナイト・M・シャマラン監督)でエイリアンに考えていることを知られないようにアルミホイルのキャップをかぶっていた子だと思い出す。兄役のポール・ダノ、顔が柔らかいうちに鼻の頭にコテをあて、顎の先だけを引っ張ったような個性的な顔立ちが面白いと思った。
七歳のオリーヴは眼鏡で小太りだが、ミス・コンテストで優勝するのが夢。ある日、繰り上げ当選で”リトル・ミス・サンシャイン”の本選に出場することが決まり、家族六人――オリーヴ、父親、母親、薬物依存(鼻から白い粉を吸っていたので多分コカイン)の祖父、自殺未遂をしたばかりの伯父、九カ月間無言を貫いている十五歳の兄――で一台の車(オンボロ)に乗り込み、会場のカリフォルニアを目指す。
噛み合わない家族が一緒に短い旅をしているうちに、人生の転機が訪れたり訪れなかったりして、勝者はいないがそんなに悪くない人生があることを知る。
トニ・コレットの、生活に疲れているのに底力がありそうな母親が良かった。毒舌家(というかジャンキー)の舅のあしらいぶりが立派。
オリーヴを演じたアビゲイル・ブレスリンが可愛くて、『サイン』(ナイト・M・シャマラン監督)でエイリアンに考えていることを知られないようにアルミホイルのキャップをかぶっていた子だと思い出す。兄役のポール・ダノ、顔が柔らかいうちに鼻の頭にコテをあて、顎の先だけを引っ張ったような個性的な顔立ちが面白いと思った。
2007年
01月
15日
(月)
07:09 |
編集
穂村弘の『本当はちがうんだ日記』(集英社)を読む。
穂村弘がどういう人物であるかが本人の手で淡々と赤裸々に綴られる。短くて読みやすい文章の中に、はっとするような言葉が入っていて面白かった。
穂村は幼い頃から一貫して「あだ名がない」と告白しているが、スポーツクラブでは密かに「修行僧」呼ばれていたし、上着のポケットにアーモンドを隠して食べていることが明らかになれば「アーモンド郎」と呼ばれるだろうと予想している。二つも本名以外の名前があるのに、それらはあだ名のうちに入っていないようだ。この二例だけで結論を出すのもどうかと思うが、あだ名とは、本人もそう呼ばれることを了解し、呼びかけられても不快に感じずに応答してしまう名前のことかと納得した。確かに修行僧ともアーモンド郎とも、穂村に呼びかける人はいない。小学校の教師も「人が嫌がる呼び方で呼ぶのは止めましょう」と言っていたし。
『もうおうちへかえりましょう』にも登場した、職場でツナ缶にマヨネーズを入れて混ぜ、パンにのせて食べる人は、本書でツナ夫と呼ばれていたことが明らかになった。ツナ夫の「快適なのは本人だけ」という無頓着さは他山の石にしようと思った。ツナサンドを手作りしているだけだが、職場でその現場を見かけた人が美味しそう・楽しそうと思わないようなことはしない方がいいのだ。
穂村弘がどういう人物であるかが本人の手で淡々と赤裸々に綴られる。短くて読みやすい文章の中に、はっとするような言葉が入っていて面白かった。
穂村は幼い頃から一貫して「あだ名がない」と告白しているが、スポーツクラブでは密かに「修行僧」呼ばれていたし、上着のポケットにアーモンドを隠して食べていることが明らかになれば「アーモンド郎」と呼ばれるだろうと予想している。二つも本名以外の名前があるのに、それらはあだ名のうちに入っていないようだ。この二例だけで結論を出すのもどうかと思うが、あだ名とは、本人もそう呼ばれることを了解し、呼びかけられても不快に感じずに応答してしまう名前のことかと納得した。確かに修行僧ともアーモンド郎とも、穂村に呼びかける人はいない。小学校の教師も「人が嫌がる呼び方で呼ぶのは止めましょう」と言っていたし。
『もうおうちへかえりましょう』にも登場した、職場でツナ缶にマヨネーズを入れて混ぜ、パンにのせて食べる人は、本書でツナ夫と呼ばれていたことが明らかになった。ツナ夫の「快適なのは本人だけ」という無頓着さは他山の石にしようと思った。ツナサンドを手作りしているだけだが、職場でその現場を見かけた人が美味しそう・楽しそうと思わないようなことはしない方がいいのだ。
2007年
01月
13日
(土)
22:21 |
編集

二度目のインフルエンザ予防接種をしてもらおうと病院に行き、窓口でその旨を伝えると、窓口の女性がちょっと驚いた顔をして、「あれ、十二月いっぱいだったんですよ」と言い、「まだあるかしら」と独り言ちた。次の接種は四週間後と言われたので来たのに。いや、前回の帰りに予約をしていくべきだったのかもと一人で反省会をしていると名前を呼ばれる。ワクチンはまだあったので、体温を測り、同意書にサインして、注射をしてもらった。
医者に、「まだ流行っていないから、間に合いましたね!」と言われる。鳥インフルエンザに来られたらひとたまりもないだろうが。
病院のあとで行ったスターバックスで飲み物を注文する時、注射を我慢したし、と言い訳をしてアイシングのかかったバニラケーキドーナツも注文する。いつも売っている揚げパンのようなドーナツとは違うタイプで、値段もやや高かったが、バターケーキっぽくて意外にいける。
スターバックスコーヒーが日本に出店して十年だが、数年前までは食べ物を注文すると何でもやたらパサパサしていた。味の良し悪し以前の問題。値段も安くないので、長いことスタバでは食べ物を注文しないことに決めていたものだった。
2007年
01月
12日
(金)
23:10 |
編集
穂村弘の『もうおうちへかえりましょう』(小学館)を読む。エッセイ集。
初出はさまざまな雑誌などだが、読んだことがあるのは「言葉の金利」だけで、『文學界』二〇〇三年二月号に掲載されたものだ。「言葉の金利」を初めて読んだ時、冒頭――「先日、友達とヨーグルトの話をした。最近のヨーグルトはいくら食べても半分残してそこに牛乳を入れておけば、一晩で元通りになっているのだという」――が印象的だったのを覚えている。四年前に穂村弘を知ったということか。と、思ったが、「恐怖的瞬間」によると吉野朔実と知り合いで、『本の雑誌』の吉野の連載に、四年よりもっと前から眼鏡をかけた歌人の穂村という人物が登場していたのを思い出した。
初対面だと思ったが、意外に前から穂村弘は身近にいたようだ。
初出はさまざまな雑誌などだが、読んだことがあるのは「言葉の金利」だけで、『文學界』二〇〇三年二月号に掲載されたものだ。「言葉の金利」を初めて読んだ時、冒頭――「先日、友達とヨーグルトの話をした。最近のヨーグルトはいくら食べても半分残してそこに牛乳を入れておけば、一晩で元通りになっているのだという」――が印象的だったのを覚えている。四年前に穂村弘を知ったということか。と、思ったが、「恐怖的瞬間」によると吉野朔実と知り合いで、『本の雑誌』の吉野の連載に、四年よりもっと前から眼鏡をかけた歌人の穂村という人物が登場していたのを思い出した。
初対面だと思ったが、意外に前から穂村弘は身近にいたようだ。
2007年
01月
11日
(木)
07:27 |
編集
石黒達昌の『冬至草』(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)を読む。短編集。
読んでいる時と読み終わってすぐは、別々の物語なのに登場人物達の多くはガンで死ぬか、身内をガンで亡くしているため、ヒトはガンと闘い、負けて死ぬしかないのかと暗鬱な気持ちにさせられた。
芥川賞候補にもなった「目をとじるまでの短かい間」では、語り手である医師の妻(可奈子)が効果が期待される新薬を使用したにもかかわらず亡くなっている。投薬後「数日して呼吸苦を訴えた可奈子は薬の副作用で重篤な肺炎を患っていた。それを治そうとして、腎不全を併発させていった」……副作用による合併症の連鎖は病人から体力を奪い、本来の病ではないものが命を奪う。てのひらから砂がこぼれるような無力感に、本から顔を上げてこれがフィクションで、今のところは自分の身の上に起こっていないことに安堵した。
表題作「冬至草」は、放射能を帯びた和名しかない植物・冬至草の標本が偶然発見され、語り手は冬至草を調査するうちに、数十年前に冬至草を発見して研究と栽培に命を賭けた半井(なからい)幸吉を知るという話。半井の生い立ちが悲惨で、植物研究に没頭しているときだけは楽しそうで、夢中になれるものがあって良かったと架空の人物の人生を祝福した。
読んでいる時と読み終わってすぐは、別々の物語なのに登場人物達の多くはガンで死ぬか、身内をガンで亡くしているため、ヒトはガンと闘い、負けて死ぬしかないのかと暗鬱な気持ちにさせられた。
芥川賞候補にもなった「目をとじるまでの短かい間」では、語り手である医師の妻(可奈子)が効果が期待される新薬を使用したにもかかわらず亡くなっている。投薬後「数日して呼吸苦を訴えた可奈子は薬の副作用で重篤な肺炎を患っていた。それを治そうとして、腎不全を併発させていった」……副作用による合併症の連鎖は病人から体力を奪い、本来の病ではないものが命を奪う。てのひらから砂がこぼれるような無力感に、本から顔を上げてこれがフィクションで、今のところは自分の身の上に起こっていないことに安堵した。
表題作「冬至草」は、放射能を帯びた和名しかない植物・冬至草の標本が偶然発見され、語り手は冬至草を調査するうちに、数十年前に冬至草を発見して研究と栽培に命を賭けた半井(なからい)幸吉を知るという話。半井の生い立ちが悲惨で、植物研究に没頭しているときだけは楽しそうで、夢中になれるものがあって良かったと架空の人物の人生を祝福した。
2007年
01月
10日
(水)
06:19 |
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全国高校サッカー選手権で、盛岡商業高校が初優勝した。岩手の県立高校で、日本中からサッカーの強い生徒を集めて作られたチームではない。地元の、県内出身の選手ばかりというのが爽快だ。
しかも商業高校なので、サッカーが上手いだけでなく全員ソロバンや簿記が出来る。違う意味でも即戦力。
冬は雪で練習が出来ないハンデを負っていると解説者が言っていたが、中学生の頃、グラウンドが雪に覆われると、体育はサッカーになったものだった。雪の凹凸に足を取られ、思わぬ方向に飛ぶボール……やはりハンデだ。
しかも商業高校なので、サッカーが上手いだけでなく全員ソロバンや簿記が出来る。違う意味でも即戦力。
冬は雪で練習が出来ないハンデを負っていると解説者が言っていたが、中学生の頃、グラウンドが雪に覆われると、体育はサッカーになったものだった。雪の凹凸に足を取られ、思わぬ方向に飛ぶボール……やはりハンデだ。
2007年
01月
07日
(日)
22:05 |
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東京国立博物館へ行く。
正月らしく本館前と本館の正面階段の踊り場に大きな生花が飾られている。階段の花材は松竹梅と椿で、ずっと飾ってあるからか椿の蕾が開きかけている……と思ってよく見たら造花だった。そう言えば梅の香りもしない。梅も、枝は梅のようだが花は造花だった。すごく良くできていて、生花と造花がCG合成のように混ざり合っていた。大きな空間に長い時間飾るとなると、生花では限界があるのだろう。その日の客を迎えるために、取り合わせを考えて床の間に花を生けるのとはベクトルが違ってくるのも仕方がない。
平成館で開催中の特別展『悠久の美――中国国家博物館名品展』を見る。数は少ないが名品ばかりに見えた。
古代の青銅器を覆う執拗な雷紋を見ていて気持ちが悪くなったことがあるが、今日は鋳造技術の高さに感心し、雷紋を求める心を想像する余裕があった。
装飾が施された貯貝(ちょばい)器(貝をしまっておく容器。金庫か?)が面白かった。リアルな水牛(複数)で飾られているのも見事だったが、わけても蓋に祭祀の様子を細々と表したものが素晴らしかった。中央に屋根付きの小屋があり、その周囲に大勢の人、解体される牛、見世物の繋がれた虎、生け贄なのか磔にされた人物などが配されていてジオラマのようだった。
正月らしく本館前と本館の正面階段の踊り場に大きな生花が飾られている。階段の花材は松竹梅と椿で、ずっと飾ってあるからか椿の蕾が開きかけている……と思ってよく見たら造花だった。そう言えば梅の香りもしない。梅も、枝は梅のようだが花は造花だった。すごく良くできていて、生花と造花がCG合成のように混ざり合っていた。大きな空間に長い時間飾るとなると、生花では限界があるのだろう。その日の客を迎えるために、取り合わせを考えて床の間に花を生けるのとはベクトルが違ってくるのも仕方がない。
平成館で開催中の特別展『悠久の美――中国国家博物館名品展』を見る。数は少ないが名品ばかりに見えた。
古代の青銅器を覆う執拗な雷紋を見ていて気持ちが悪くなったことがあるが、今日は鋳造技術の高さに感心し、雷紋を求める心を想像する余裕があった。
装飾が施された貯貝(ちょばい)器(貝をしまっておく容器。金庫か?)が面白かった。リアルな水牛(複数)で飾られているのも見事だったが、わけても蓋に祭祀の様子を細々と表したものが素晴らしかった。中央に屋根付きの小屋があり、その周囲に大勢の人、解体される牛、見世物の繋がれた虎、生け贄なのか磔にされた人物などが配されていてジオラマのようだった。
2007年
01月
06日
(土)
20:24 |
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五日に安藤”即席ラーメンの父”百福氏が亡くなったということをニュースで知り、カップヌードル(レギュラー)を食べて氏の業績を讃える。
ちなみに好きなのは牛乳を入れて作ったシーフードヌードル。
ちなみに好きなのは牛乳を入れて作ったシーフードヌードル。
2007年
01月
04日
(木)
07:32 |
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グレゴリ青山の『しぶちん京都』(メディアファクトリー)を読む。
ケチというか締まり屋(一言で言うとしぶちん)な京都人の生態と京都の見所を、京都生まれ京都育ちのグレゴリ青山が青春の思い出と共に描く。
高校生のグ(愛称)が漬物屋や託児所でアルバイトをしながら大人の階段を上る姿が可笑しくもあり、どこか懐かしい。アルバイト先の漬物屋の奥さん(しぶちん)の炊事のやり方に「家庭科ではこう教わった」と異議を唱えるとイケズされるので、二度と口に出しては言わないことにし、心の中でそうやると栄養がなくなるんやでと突っ込むグ。一つの職場(台所とか)にやり方が違う二人がいると揉めるのはよくあることだ。
グが京都の仏教系商業高校の出身だったとは、グを長く愛読しているが初めて知った。校則が厳しいからソロバンケースでお洒落をしていたというのが泣かせる。運動会の競技にソロバンを持って走り、所定の計算をしてゴールする(計算を間違えると失格)というのがあるらしい。
ケチというか締まり屋(一言で言うとしぶちん)な京都人の生態と京都の見所を、京都生まれ京都育ちのグレゴリ青山が青春の思い出と共に描く。
高校生のグ(愛称)が漬物屋や託児所でアルバイトをしながら大人の階段を上る姿が可笑しくもあり、どこか懐かしい。アルバイト先の漬物屋の奥さん(しぶちん)の炊事のやり方に「家庭科ではこう教わった」と異議を唱えるとイケズされるので、二度と口に出しては言わないことにし、心の中でそうやると栄養がなくなるんやでと突っ込むグ。一つの職場(台所とか)にやり方が違う二人がいると揉めるのはよくあることだ。
グが京都の仏教系商業高校の出身だったとは、グを長く愛読しているが初めて知った。校則が厳しいからソロバンケースでお洒落をしていたというのが泣かせる。運動会の競技にソロバンを持って走り、所定の計算をしてゴールする(計算を間違えると失格)というのがあるらしい。
2007年
01月
03日
(水)
20:56 |
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川崎大師へ。参詣客は多いが、待たずにスムースにお参り出来た。納札所で古い御札や破魔矢と一緒に達磨を預けていた人がいて、達磨もここに納めるのかと納得。今までどうするのか知らなかったのだ。選挙事務所の達磨は選挙が終わってどうなるのだろう、落選した候補者のは燃えるゴミに出されるのかと心配していたものだった。
帰りに小さな赤い達磨を買う。暮れに読んだ森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』(角川書店)にも達磨が登場していたし。
帰りに小さな赤い達磨を買う。暮れに読んだ森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』(角川書店)にも達磨が登場していたし。
2007年
01月
03日
(水)
12:20 |
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台湾の故宮博物院を特集した『芸術新潮』を読んで以来、台湾に台北になびいていた気持ちを鼎泰豊(ディンタイフォン)でなだめる。
鼎泰豊といえば小籠包だが、久し振りに肉粽子(ちまき)を頼んだら、米と肉の比率が二対一くらいになっていた。おこわの表面を突くと豚肉の塊があらわれる、まるでもち米を纏った肉塊(やや誇大な表現)。
八角が効いた肉は柔らかく、箸を入れると割ける。
2007年
01月
01日
(月)
00:01 |
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メールアドレス。
返信はないか、あっても遅いかもしれません。
あらかじめご承知下さい。
kikaiのkokoro アットマーク gmail.com
「の」をローマ字 no(半角)に、「アットマーク」を@(半角)に直して送信して下さい。
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