2007年
11月
23日
(金)
00:01 |
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十一月十七日(土)、青山陽一Acoustic Live!「ココダケのハナシ」。下北沢のleteで。
小さなところで、観客定員二十人で行われた。ギター一本とは思えない濃密な時間だった。
二度目のアンコールの時、観客からリクエストを募って、その中から「最後はヌード」を演奏した。かなり歌詞があやふやだったが、それもまたよし。
最後に、「カラオケに『最後はヌード』が入っているでしょう、あれ、作ったの僕です」と言って観客を驚かせていた。オリジナルの作者が演奏している……中国語なら原人原奏か。中国のテープやCDによく原人原唱と書いてあるので。例えば「趙薇 原人原唱」なら「ヴィッキー・チャオ本人による歌唱」だし。
小さなところで、観客定員二十人で行われた。ギター一本とは思えない濃密な時間だった。
二度目のアンコールの時、観客からリクエストを募って、その中から「最後はヌード」を演奏した。かなり歌詞があやふやだったが、それもまたよし。
最後に、「カラオケに『最後はヌード』が入っているでしょう、あれ、作ったの僕です」と言って観客を驚かせていた。オリジナルの作者が演奏している……中国語なら原人原奏か。中国のテープやCDによく原人原唱と書いてあるので。例えば「趙薇 原人原唱」なら「ヴィッキー・チャオ本人による歌唱」だし。
2007年
03月
01日
(木)
10:00 |
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タワーレコードでポイント二倍だったので、スガシカオの二枚組『 ALL SINGLES BEST 』と、HARCOの『 PICNICS -BEST OF HARCO- [1997-2006] 』を買う。HARCOもDVD付きの方を買ったので二枚組。そしてどちらもベスト盤、どちらも前世紀末から今世紀にまたがる十年の軌跡を収めている。スガの一番古い曲が「ヒットチャートをかけぬけろ」で一九九七年二月発売、最新が二〇〇六年九月発売の「午後のパレード」なので、HARCOのそれと時間はぴったり重なっている。随分違う二人だが。
さっそくスガのCDを聴いてみる。一曲目は最近テレビでもよく耳にする「午後のパレード」。キャッチーで緻密、改めてその職人技に舌を巻く。
さっそくスガのCDを聴いてみる。一曲目は最近テレビでもよく耳にする「午後のパレード」。キャッチーで緻密、改めてその職人技に舌を巻く。
2007年
01月
30日
(火)
23:08 |
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怪しい隣人vol.11 @CLUB Que(下北沢)
青山陽一のライブ。ゲストはおおはた雄一、bird。
おおはた雄一、不勉強でまったく知らなかったが、大変素晴らしいギター弾きだった。ラップスティールの佐藤克彦との息もぴったり。佐藤を信頼し尊敬しているらしいことは、何度も佐藤の名前(かっちゃん)を呼んで紹介したのでわかった。アメリカのどこかのダイナーで夜明けに薄いコーヒーを飲んでいたり、椰子の木のある海岸を歩いたり、スコットランドの荒れ地を歩いているような気持ちにさせられる演奏だった。
生のbirdは初めて。歌っていない時は華奢で可愛らしい(京都のアクセントで話すのも良い)のに、半眼で歌う姿には大きな力を感じた。髪をまとめて頭のてっぺんにシニヨンを一つ……田舎の古いお寺で大事に祀られている平安後期の十一面観音立像のようにも見えた。青山陽一と歌った「マイペンライ」が格好良かった。
「休符を数えて生きるのは」の前奏が始まると、上海の繁華街を歩いていたらジャズの生演奏が聞こえてきたときのことを思い出した。思い出したというよりも、そこに戻った感じがした。宵の口の南京東路の外れ、夕飯は何を食べようかと思案しながら歩いていた。不安な足取りで。
この「休符を……」の主人公は管楽器の演奏者なのだが、この日は青山陽一のギターの他はオルガンとドラムだけで演奏され、口笛の一吹きも無かった。無くても吹奏楽者の悲哀は充分に表現されていた。無いからこその喪失感も。
青山陽一のライブ。ゲストはおおはた雄一、bird。
おおはた雄一、不勉強でまったく知らなかったが、大変素晴らしいギター弾きだった。ラップスティールの佐藤克彦との息もぴったり。佐藤を信頼し尊敬しているらしいことは、何度も佐藤の名前(かっちゃん)を呼んで紹介したのでわかった。アメリカのどこかのダイナーで夜明けに薄いコーヒーを飲んでいたり、椰子の木のある海岸を歩いたり、スコットランドの荒れ地を歩いているような気持ちにさせられる演奏だった。
生のbirdは初めて。歌っていない時は華奢で可愛らしい(京都のアクセントで話すのも良い)のに、半眼で歌う姿には大きな力を感じた。髪をまとめて頭のてっぺんにシニヨンを一つ……田舎の古いお寺で大事に祀られている平安後期の十一面観音立像のようにも見えた。青山陽一と歌った「マイペンライ」が格好良かった。
「休符を数えて生きるのは」の前奏が始まると、上海の繁華街を歩いていたらジャズの生演奏が聞こえてきたときのことを思い出した。思い出したというよりも、そこに戻った感じがした。宵の口の南京東路の外れ、夕飯は何を食べようかと思案しながら歩いていた。不安な足取りで。
この「休符を……」の主人公は管楽器の演奏者なのだが、この日は青山陽一のギターの他はオルガンとドラムだけで演奏され、口笛の一吹きも無かった。無くても吹奏楽者の悲哀は充分に表現されていた。無いからこその喪失感も。
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